灰色ハイジのテキスト

サンフランシスコで働くデザイナーの日記とか考え事とか

私にとってのウェブ

先日コンサルティング会社の人と話してからというもの、ある事がひっかかっている。


「クリエイティブ以外で、生活の中で興味のあるものはないの?」


そう聞かれた時に、本当に何も思い浮かばなかったという事、それがひっかかっている。その話を人とした所、「確かにハイジは制作する以外の事が無いよね」と言われてしまった。
今日も用事があって久々に四条の方へ、街の方へ自転車で向かったのだけれど、この3年間用事以外でここへ来た事が何回あっただろうか、と考えてしまった。そう、遊ぶ事が極端に少ない。クリエイティブな事に関わる事こそが私の楽しみだからだろうな、と思う。あるいは、生活そのもの全てをクリエイティブな事と捉えて生きている為だろうか。
何にせよ、こうした生活の仕方を私は好き好んでおくってきたのだけれど、はたと視野の狭さを認識してしまい、人間として何てちっぽけなんだろう、と思った。


16歳の頃ウェブデザイナーにはならない、と思った私。でも21歳の現在、就職活動は全てウェブ関連。

「生活の中で興味のあるものはないの?」

ホントは何も思い浮かばなかった訳じゃない。ウェブと音楽。それが私の中で浮かんだもの。
なんだか、本当にウェブが好きなんだなぁと思う。思えば、デザインという言葉を知り興味をもったのも「ウェブデザイナー」という単語からだったじゃないかーこの日記を書きながらそんな事に気付く。
ウェブ、ウェブーと何だか特別な単語のように扱う人が多いけれど、私の中では生活の一部になっているのだと思う。ウェブが無ければ今日まできっと生きてこれなかった。
中学生の頃に不登校になり、中学の3年間はひきこもりになった。ひきこもりながら私は毎日チャットをする日々を過ごす。3年間で顔を合わせた数は家族と数えられる程だったけれど、文字でのコミュニケーションは毎日行われた。
不登校になったのは、決して人が嫌いなのではなくて、むしろその逆だ。
村で育ち、小学校を卒業したらそのまま地元の中学校へ行くところを(村では小中学校が一つずつしかない)一人、新潟市の女子中学校へ受験をして入学した。そこへ行こうと思った理由はー今となってはハッキリと思い出せないけれど、たぶん村を出たかったからだと思う。田舎で育った人は誰しも都会に憧れるでしょう。そんな感じ。
けれど、半年程して通わなくなってしまった。都会に憧れて行ったはいいけれど、馴染めなかった。新潟県の中で発展している地域だった事と、私立の女子校という事で周りはいわゆるお嬢様だらけ。それまでの文化や感覚が違いすぎて馴染めなかった。カルチャーショックというやつをうけたのです。
ーと、そういう経緯で私は不登校になってしまったのだけれど、むしろ人と交流する事に飢えていたんだと思う。
中学3年のチャットの毎日は本当に楽しかった。チャットだけでなくて、ウェブでのイラスト展を企画して運営したりもしたけれど、本当に楽しかった。中学2年生になりたての歳の頃には、オフ会で一人東京へ行ったりもした。学校に通っていない事に引け目を感じていた私。でも、ウェブを通じてコミュニケーションをとる事で、私は必死で世間に馴染もうと、普通の人間である事を保とうとしていたんだと思う。
ウェブでのコミュニケーションが私は好き。ウェブを通じて私は生活を人生を、大げさかもしれないけれど豊かにする事が出来たから。
自分とウェブの関係は何だろうと、もやもやしていたけれど、今日はハッキリ好きだと答える事が出来るので、言葉にしてみた。