灰色ハイジのテキスト

サンフランシスコで働くデザイナーの日記とか考え事とか

不登校の娘を抱える母親へ

昨日ケータイでYahoo知恵袋をなんとなく見ていたら、中3の娘が不登校です。という母親からの相談が目に入りました。

何回かブログに書いているけれど、私は中学生の頃不登校でした。
大学に入ってからその出来事は私の中での”原点”となっており、現在の私にとってどのようなプラスの出来事かーという部分についてはよく語るけれど、当時どのような心境だったのか、という事については私自身忘れている部分がありました。
それを知恵袋の相談を見てから、当時の事について思い出すようになりました。


私が不登校になった原因は、いじめなどではありませんでした。
中学生になって環境の変化についていけず、1日休んだら次もだんだん行き辛くなりーという事がずっと続いてしまったのです。
休んでしまった理由が、怪我や病気ではなく、ごくごく個人的なコンプレックスに基づいていたーつまり
周りから見たらどうでも良い、くだらない悩みで休んでしまった
事を自覚しているが為に余計に、
「何で学校行かないの?」
という問いかけが苦しかったんです。


今こうやって書くと本当に、くだらねーと思ってしまうのだけれど、それをくだらないと笑う事も出来ずに当時は深刻に考えていたんだろうなと思います。


当時、母親は37歳。今考えるとお母さん、若かったなぁと思います。
突然中学校に行かなくなる娘。外に出なくなり、突然泣き出したりわめいたりする。
知恵袋で相談をしていた母親のように、私の母親も当時相当悩んだだろうな、と今は母親目線で当時を振り返る事が出来ます。


無理矢理にでも学校に!と引きずられた事もありました。
でも嫌で嫌で、断固拒否する私。


私がちっとも、何で学校に行かないのか言わないので、カウンセラーの元に連れていかれた事もありました。
病院に行く事=学校を休む正当な理由なので安心する反面、私は病気じゃない!とカウンセラーを毛嫌いしていました。
簡単な心理テストなどを実施されましたが、何かに当てはめて自分の事を分析される・見られる事にすごい嫌悪感を抱いたのです。


正直な話、死にたい!と言い出してしまった事もあります。
母親は「じゃあ一緒に行こう」と言って、海だったか湖だったかー思い出せないけれど車を走らせました。
母親は泣いていました。
私も泣きました。
中学校へ行かない事で母親を困らせているのに、私は更に母親を悲しませるような事をしてしまったのです。
車を走らせた先だったか、その後家に帰ってきてからだったか忘れたけれど、母親とたくさん喋りました。
「お兄ちゃんには小学校に行く前に抱きついていたけど、haijiにはそんな事しなかったね。寂しかったのかなぁ」
「haijiが小ちゃい頃おばあちゃんの所に預けた時、人前では泣かずに、影で隠れて泣いていたんだよ」

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母親が体当たりで私に向き合っている事が分かりました。
別にそれまで母親を邪険にしていた訳では無いのですが、母親が体当たりで私に向き合ってくれなかったら今どうなっていたか分かりません。

中学校には行かなかったけれど、自分の部屋にこもりっぱなしな訳ではなくて、居間には良く居ました。食事も家族でとっていました。

もし、お子さんが不登校で悩んでいる方が居れば、それは時間が解決するので大丈夫です。どんな答えでもいいから一緒になって考えてあげる事が最善の策です。と言いたいです。



知恵袋を見て当時を思い出した事もあるけれど、もうすぐ母親が結婚した歳になるのだよなぁ私。
今では母親目線で自分の子供の頃を振り返る事が出来る。
今日のエントリーは未来の自分へ向けての戒めなのかも。