灰色ハイジのテキスト

サンフランシスコで働くデザイナーの日記とか考え事とか

フォロワーという概念のないオアシス

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最近、気付けばpathのような割と小規模なコミュニティでだけつぶやくことが多くなった。


TwitterFacebookも息苦しい。
(大体ここでTwitterFacebookの2つを引き合いに出すこと自体が既に古いような気もするけれど。)


サービスが大きくなると、意味のある発言が求められがちで、辛くなる。
考えてみたのだけれど、この場合サービスの大きさというよりも、数値化されたフォロワーという概念があるかどうかが問題なんだろうなと思った。


古くは、ホームページのランキングからあった問題ような気がする。
自分の価値が数値化されることによって、人はなんだかよく分からない、姿の見えない群衆の目を気にしだす。
誰もお前にそんなもの求めてねーよ!という声もあがりそうだけれど、無意識のプレッシャーがある。


最近だと、私はアンサーというサービスが好きだ。
性別と年代しかなく、フォロワーという概念もないので、ジャンルと年代で選んだタイムラインになる。


どんな些細なことでもつぶやいたら、どこかの誰かが答えてくれる。
私がどこの誰かなんて関係ない。


Q&Aサービスは昔からあるけれど、アンサーの場合、答えがないような、そんな雑談も多く投稿されている。
リアルな友人にもつぶやけないけれど、でも誰かに聞いて欲しい、そんな時にアンサーにいくとすごくホッとする。

肩書きやフォロワーという、自分の価値を求められるような武装を外せる場所。それこそが私がずっとインターネットに求めていたことのような気がする。