社会人になってから日記を書かなくなった

ひきこもっていた中学3年間の日記のデータは今でも大事に(?)とってあって、
PCを買い替える度にちゃんとデータを引き継いでいる。

高校のときの日記もInternet Archiveで検索すればまだ読めるし、
大学のときもはてなダイアリーの方によく就活日記をつけていた。

 

ふと思った。社会人になってから日記をつけていない。

 

一つは仕事の関係上、固有名詞が出しづらいことがあげられる。
また、これまで「灰色ハイジ」と「現実社会で生きる私」があまりリンクしていなかったので、ハイジとしてあれこれ書けていたのだけれど、最近は「現実社会で生きる私=ハイジ」となってしまった。

元々、人にどう見られるかを非常に気にする人間なので、
知人に読まれるかも、と意識した途端に「こんなことを書いたらなんて浅い人間なんだ」と考え込んでしまいタイプする手が止まってしまう。

否、タイプしようとする意識すらない。

 

ただ、学生の頃もそれなりに数人ではあるけれど知人には読まれていたはずで、
この違いはなんだろうなぁと思ったところ、
あの頃は「自分がまだ中途半端な子供」という意識があったから、あれこれ書けていた気がする。
それが今では「大人はきちんと出来ているべきで、悩んでいる思考過程をさらすのは恥ずかしい」という思考回路になっている気がする。

でもなんだかこの思考回路こそが、死に向かうプロセスな気がする。

私はいつ大人になったんだろう?

 

TwitterやFacebook、Pathなど、さまざまなところに思考の断片をつぶやくけれど、
やっぱりたまにはまとまって考えをまとめる時間が必要だなぁと思う。