灰色ハイジのテキスト

サンフランシスコで働くデザイナーの日記とか考え事とか

2017/10/18 焦燥感と次への一歩

これまでの経験と言うのは環境が変わればリセットになってしまう部分もあれば、活かせる部分もある。リモートライフをしていたところ、日本もアメリカもどちらの生活も中途半端になってしまう感じがした。アメリカに居るのにいまだ人と顔を合わせることも、英語を話すことだって苦手だ。上手い・下手というレベルではなくて、コミュニケーションそのものに恐怖心を感じてしまった。

さすがにマズいぞ、と興味のあったサンフランシスコにあるデザインの学校へ応募をすることにした。幸いにも、その学校を卒業した日本人の方を知り合いが紹介してくれて書類選考は進むことが出来た。これがリファラルってやつか。選考ステップとしてはLinkedInのプロフィールを送るのみ、という何ともサンフランシスコらしい感じだ。

そして先週、恐怖の電話面接を受けた。週の半ばの電話まで、毎日家で怖い怖いとのたうち回り、泣いたりしていた。

ベイエリアで見つけた日本人の英会話レッスンも再開した。元々リクルート出身の女性でメインは子どもに教えているのだけれど、これまでの私の仕事のバックグラウンドにも理解がある人の方が何かと相談しやすいだろうな、ということで頼んでいる。そう、分からないことを英語で質問するにも時間がかかるレベルなのだ。 付け焼き刃でその先生に傾向と対策を教えてもらう。もうこれ英会話のレッスンというより、レジュメ添削してもらってるわ、、という感じである。

サンフランシスコに滞在して思うことは、英語に対するしんどさはもちろんなのだけれど、それ以上に「これ日本語だとしても言いたいことが無い」「私の仕事の経歴で学び、そして自分のアピールポイントとは何なのだ」といった悩みに直面することの方が多い。その度にとても情けない気持ちになるのだ。

思えば日本でもコミュニケーションスキルがある訳ではなかったということを強く実感する。東京に居た約7年間で学んだ何となくのノリで返す言葉やリアクションも、アメリカでは使えない。すべてがリセットされてしまう。

でも、デザイナーで良かった、と思った。電話面接、ようやく辿々しく会話して、質問への回答も全部を理解出来ずあとからメールで聞き直すレベルだけど、その電話ですぐさまOKをもらえたのは事前のポートフォリオ審査のおかげだろう。そう、言葉以外のことで伝えることが出来るのだ。言葉の強さも知っているし重要さも分かっているけれど、それでも、それ以外の武器を持ち合わせているということは励みになった。

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霧の街サンフランシスコ

春に6週間だけ英会話学校にも行っていたのだけれど、その時は文法を英語で習うの新鮮!という楽しさはあったけれど、話したいことそのものが本当に浮かばなくて辛かった。それに比べたらデザインについてというのは、話したいことも聞きたいこともあるので、そういう目的があると勉強も楽しいな、とようやく思えてきたところ。