灰色ハイジのテキスト

サンフランシスコで働くデザイナーの日記とか考え事とか

Twitterの学校の教室化

最近のTwitterはなんだか学校の教室のようだなぁと思う。
私がTwitterをはじめたのは2007年で、ようやく盛り上がって来たのが2009年で、それが一般に見える形となって現れたのが今年という感じだろうか。


Twitterに続くようにマイクロブログというものが2007〜2008年くらいに流行った訳ですがTwitterというサービス、そして名前が残るようになったのは当然だよなぁと感じる。
それが先発だとか後発だとかということではなくて、はてな、livedoor、アメブロ等々・・・これらの名前は一般の人には、ブログが流行った際に記憶に残っている為、その名称を使って何かサービスを立ち上げても、あのブログサービスの、という印象しか残らない。
大体一般の人には、そもそもwebサービスをやっている会社の名前って、会社という認識じゃなくてサービス名という認識が強いと思う。

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webサービスにおけるブランドとは?
なんてことを思いつつも、最初の一文に戻る。


最近のTwitterは学校みたい。昨日なんのテレビ見た?今日こんなテレビがあって、今こんなものが流行ってて、今度こんなものが新発売で・・・。
昨日の私のTLは、「NHK 激震マスメディア」に関する話題でもちきりで、#nhk_media0322#ura_media0322というハッシュタグで埋め尽くされていった。
一瞬だけ見てすぐに見るのをやめてしまったんだけど、最近Twitterで他の人が見ているから見ないといけない、という感覚が強くなっている気がする。
自分のTLというのは、大体において自分の近しい人だったり興味のある人で構成されていくのが自然なのでそうなってしまうのは当然あるとしても、特定の話題でTLがもちきりになってしまうとそれ以外の発言が埋もれてしまう。
Twitterはメインストリームから外れた部分が面白かったのだけれど、どうも最近はそうではないように感じる。教室で今日のテレビ以外のことが話づらかったように、このまま行くとTwitterという教室の中では今後はあまり面白いことが起こりづらいのではないだろうか。



まぁこれはTwitterに限らずこの10数年同じようなことがサービスが変わるだけで起きてきた訳だけれど。