灰色ハイジのテキスト

サンフランシスコで働くデザイナーの日記とか考え事とか

バリア

私は日記が続いたことがない。去年はMediumで日記を試してみたけれど続かなかった。最近学生の時のブログを読み直す機会があった。あの時はとにかく思ったこと、考えたことをまとめていたのに社会人になってから自分の考えを振り返ることが出来なくなってしまった。それはやっぱりもったいない気がするので、気が向いた時にメインブログのここに日記も書いてみることにした。大体自分のパーソナル空間に、書いちゃいけないテーマなどないのだ…


サンフランシスコに来てから仲良くさせてもらっているシエナ、アンディ夫妻がいる。シエナの誕生日の時は体調が悪くて行けなかったのだけれど、一昨日アンディの誕生日パーティーに行ってきた。

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彼らの愛猫Meiちゃん

シエナは夫の同僚で、夫婦そろって日本語が上手。サンフランシスコに来るようになるまであまり海外にも行ったことがなかった私は挨拶すら緊張する始末だった。だから、日本語や私のたどたどしい英語を拾ってくれる彼らの存在はとても大きい。

ただでさえ話せないのに、3ヶ月ほど日本に帰っていたせいで英語はますます話さなくなっていた。だから一昨日は久々に英語を話す場だった。ホームパーティにはアンディの同僚がたくさん来ていた。

アメリカに居ると自分が人見知りでコミュ障であることを思い出す。英語以前に「何を話せばいいんだろう!?」と思うことが多いからだ。

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黒のラグと同化するMeiちゃん

アンディと、アンディの同僚と話したときに、こういう場は本当に大事だと痛感した。辞書だけでは分からないことが多すぎる。単語ひとつとってみても、一つの意味に対して複数の類似する単語がある場合にどの単語が自然なのかが辞書などでは分からない。これはもう会話を繰り返すしかない。私はその会話の手前で怖気づいている状態なのだ。

「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ」夫はそう言ってくれる。この感覚何か覚えがあるな、と思ったら中学不登校の後、高校生活をすることになったときだ。登校初日は本当に怖かった。でもその恐怖は自分が作り出しているに過ぎず、飛び込んでみれば人々は優しく受け入れてくれる。拒絶されているのではなく、自分が壁を作っているのだ。

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